資本主義社会で溺れないように生きる3

前回は、資本主義の社会では、働く側からみれば、資本利益率に貢献するか否かという基準が経済的に豊かになれるかどうかにおいて決定的に重要であることを指摘した。そして、その基準は、「割安」「割高」であることを示した。

 

つまり、資本主義社会では、資本利益率への貢献度という意味において割安な人材は引っ張りだこになり、割高な人材は仕事がなくなるということである。

 

しかし、実は、相対的に「割高」であっても、仕事にありつける、あるいは多くの収入を得られるチャンスもある。これは、経済学的な市場原理を考えれば思いつくことである。

 

それは何かというと、「希少性」である。自分自身が割高であっても、他に割安の人がいなければ、自分は引っ張りだこになるというわけである。希少な資源を市場においてうばい合えば、その資源価格が高騰するのは周知の事実だ。

 

つまり、資本利益率へ貢献度という面では生み出せる経済価値は小さくても、資本もしくは企業にとって、利益を生み出すために「必要不可欠」な技術とか知識とかを保有しており、かつ「数が少ないため、なかなか見つからない」という存在になることが、雇用機会を増やし、収入を増やすキーとなるのである。

 

これは、経営学でいうところの、経営戦略論では、常識となっている考え方である。もっとも簡単な言葉でいえば「差別化」であり、別の言い方でいえば「コア・コンピタンス」というようなものである。経営戦略論で追及しているのは、自社がいかにして競合他社よりも多くの利益を(=競争優位の獲得)である。会社員に焼き直せば、いかに同僚、ライバルよりも昇進などで優位に立てるか、などに置き換えられる。

 

経済的価値を生み出すのに必要不可欠な知識とかスキルを有し、それは他の人が真似できないもので、かつ、そのような知識やスキルを有している人材の絶対数が少なく、自分以外に取り替えがきかない唯一無二の存在であれば、企業はあなたを手放したくても手放すことはできないのである。

 

経営学を学ぶのは、企業経営に役立つだけでなく、自分自身のキャリア戦略にとっても重要なのである。