資本主義の本質3

前回、社会全体がこんなスピードで成長・発展しなくてもいいから、働く量を半分にして、その分、暇な時間をローテクな娯楽で愉しめばいいんじゃないかというようなことを書いた。そして、資本主義社会ではそれが不可能に近いことを書いた。

 

それは何故か。繰り返すとおり、資本主義は、つねに、拡大・成長・膨張を志向するからである。

 

そして、古くはマルクスや、最近流行中のピケティが指摘するように、資本主義というシステムでは、富むものがますます富み、貧しい者がますます貧しくなる、といった格差を生み出すメカニズムが内在されていると考えられるからだ。

 

例えば、先進諸国においてモノが溢れかえって飽和してくると、人々の購買意欲は萎え、モノが売れなくなる。それはそれでよいことではないか。もう人々は現状に満足して、そんなに買いたいものがないのだから。

 

しかし、飽くなき拡大・膨張を志向する資本主義社会ではそれが許されない。消費者の欲望をあらゆる形で刺激して購買意欲を高めよう、有形のモノが売れないなら無形のサービスを売ろうなどと、資本が利益を上げるための空間を無理やりにでも作り出そうとするのだ。

 

日本企業がとった戦略に関していえば、高級化路線である。人々の自尊心などを刺激し、もっと高級なもの、もっと贅沢なもの、もっとステイタスの高いものへの欲望を植えつける。その上で、付加価値の高いモノやサービスを売りつける。

 

冷戦が崩壊し、社会主義国が崩壊し、グローバル化が進展すれば、世界においてまだまだモノが不足している国や地域をターゲットとしてモノやサービスを売ることができる環境が整ってくる。つまり、資本利益を維持する空間を、新興国に拡大する。その結果生まれたトレンドが、グローバル化だ。

 

さらに極めつけは、情報技術の発達により可能となった、バーチャルな空間だ。当初、バーチャルな空間は、ただ空間だけがあって荒野のような状態。そこに、まずはインフラをということでバーチャル建築需要が起こり、たくさんのITエンジニアを動員してインフラをつくり、店をつくり、オンラインコミュニティーやSNSを作り、それでバーチャルおよび現実における消費意欲を植え付け、モノやサービスを売りつける。

 

私達は、このような世界の動きを傍観しているわけにはいかない。生きていくためには、働かざるを得ない。働くということは、このような膨張・成長・拡大の動きに加担していることに他ならない。いやがおうでもこの流れに巻き込まれているのである。