作り出される欲望

よく、新商品開発をするときに言われることとして、「マーケティングリサーチなんかやったって、売れる商品はつくれない。リサーチをやっても、消費者のニーズはわからない。なぜなら、消費者は、自分自身のニーズに気づいていないことが多いから、というのがある」

 

 

具体的な商品を見せてみて、はじめて消費者が「これが欲しい」ということがわかるということで、ある意味、的を得た視点である。しかし、これは別の言い方をすれば、新商品は、消費者の欲望を「作り出す」ことでヒットする、ということでもある。

 

 

消費者は自分のニーズに気づいていないというよりも、企業などによって、欲望を作り出され、刺激された結果として、その商品にニーズを感じるのである。

 

 

例えば、私が学生のときは、携帯電話も、ネットもなかった。けれども、そもそもそのようなものがなかったのだから、それがないからといって欠乏感もなかったし、不満があったわけではない。それらがなくても、楽しく暮らしていた。

 

 

つまり、人々は、資本主義社会というシステムの中、次々と、欲望を「開拓」され、「作り出され」、「刺激される」ことで、消費を繰り返してきたわけであるが、だからといって、この蓄積のおかげで、人々の幸福感が倍々ゲームで増加してきたわけではないということだ。

 

 

私の学生時代と、いまの学生とで、幸福感に雲泥の差があるわけではない。今の学生のほうが数倍幸福だとは思わない。私の時代の学生は、いまの学生と同じくらい幸福であったと思う。

 

人間が作り出した制度や社会に、私たちの欲望や行動が操作されている、コントロールされている、支配されているということだ。