存在とは何か

存在。ここでは、この世界に自分が存在しているということと、その意味について考えてみよう。
 
自分が存在しているということを自明のこともしくはデフォルトと考えてしまうと、いずれ、自分の存在が消えてしまうことを想像したときに、表現しがたい恐怖感に襲われることになる。
 
実はよく考えるとわかることだが、ほんとうは、自分はこの世界には、ほとんど存在していない。これがデフォルト。そう考えたほうがよい。
 
例えば、100年前は自分は存在していないし、100年後も存在していない。
 
つまり、この世、この世界、もしくはこの宇宙のほとんどの時間、自分は存在していないのだ。存在していないことがデフォルトなのだから、そのこと自体を恐れることはない。
 
それが、なぜか、一瞬だけ、いま、自分は存在している。なぜ、この時代なのか、なぜ、日本人としてなのか、理由はまったくわからない。しかし、いま、ここに、わたしが存在しているということは動かせない事実である。
 
このような、わたしという存在。これは、奇跡としかいえないくらい神秘的なことである。
 
では、この「存在」の本質は何か。
 
一言でいえば、「儲けもの」である。まったくの偶然と奇跡によって、宇宙の時間からみたら、ほんの一瞬のあいだだけ獲得できた「存在」。
 
しかし、当然ながら、この存在には、「賞味期限」がある。しかも、1度きりしか体験できない。けっして、二度と繰り返せない。これが真実なのだ。
 
この賞味期限は、ぼやぼやしているとあっという間に終わってしまう。賞味期限が終わってしまったら、もとの、自分が存在しないというデフォルトに戻るのみである。
 
だから、このかけがえのない「存在」の一瞬一瞬を大切にし、二度と繰り返せないこの存在の瞬間を、決して無駄にしないで、骨の髄からしゃぶりつくすことで味わうことが重要なのだ。
 
余計なことを考えている暇などない。賞味期間の期限がせまっているこの存在を、一生懸命、真剣に、味わうことだ。