大衆消費社会革命

将来から歴史を眺めたとき、1990年ごろを境に、明らかに情報革命が起こり、消費社会が変化したといえる。一言でいえば、モノの世界から情報の世界へと変化し、大衆消費も、モノの消費から情報の消費に大きくシフトした。

 

モノの世界、モノの消費の特徴は何かといえば、モノを買うということが消費の中心であったわけだが、モノというのは限りがあって、選択肢が限られている代わりに、個人として見ても、買える量にも限りがあった。だから、大衆消費社会においては、各個人が限られた金銭的な予算制約の中で何を買うかが重要であったわけである。

 

しかし、現在進行している、情報の世界、情報の消費においては、まったく違った消費の特徴が出現している。モノと違って情報は簡単にコピーしたり増やしたりすることができ、かつ価格もどんどん低下し、無料情報も氾濫してくる。その結果、人々にとっての消費対象となる情報コンテンツが氾濫して、その中から何を選ばせるかが重要となっている。

 

余暇の消費を考えてみると、モノの時代であれば、音楽を楽しみたい場合には、レコードやCDというモノを買うことでしか楽しめなかった。そうなると、レコードやCDを売っている場所、品物の数も物理的に限定されており、その制約と、個人の予算制約との相談によって購買が決定されていたわけだ。CDレンタルやレンタルビデオ屋の出現によって、多少は利便性が増したが、依然としてCDやDVDなどのメディア媒体という「モノ」を介してしか楽しめなかった。

 

しかし、もちろん現在進行形の情報の世界では、例えばインターネットは電気やガスのようにすでに生活インフラになっているので、多くの人が当たり前のように使えるようになってきている。そして、先ほどの、音楽や映画、ビデオにしても、モノとしての媒体を介する必要なく直接インターネットを通じて届けることができるので、モノとしての制約がなくなってしまった。同時に、価格がどんどん下がり、最近では定額制が出現したため、場所的制約、予算制約が限りなくなくなってきてしまった。

 

例えば定額性サービスならば、消費すべき情報が限りなく広がっているため、時間さえあれば、いくらでも消費できるという世界になってしまった。極端にいえば、24時間365日、音楽やビデオを消費しまくったとしても、定額で済むわけである。

 

であるから、消費者にとっていちばん重要な問題としての情報の世界の大衆消費のポイントは、むしろ場所の制約とか予算の制約の問題ではなく、限られた時間の中で氾濫する情報コンテンツの何を消費するのかといった、時間制約の中での時間配分の選択という問題に代わってしまったのである。