モダンとポストモダン

現代の世界は、モダン(近代)から、ポストモダンに移り変わろうとしていると言われる。どういうことだろうか。

 

モダンの時代では、新しいものがいろいろと生まれ、社会が成長し、進歩していくように感じる。日本でいったら、明治から大正、昭和、そして戦後しばらくはモダンの時代であっただろう。

 

ポストモダンの時代とは、モダンのような成長や移り変わりがだんだんと減速し、やがて限界に達し、新しいものが生まれなくなっていく時代である。その代わり、モダンの時代の産物が蓄積されてきているので、蓄積された産物をパッチワークのようにつなぎあわせて再利用を繰り返すような活動が増えてくる。これは、現在あるものを最大限に活用することで資源の浪費や破壊を防ごうとするサステナビリティの発想とも通じるものである。

 

日本の大衆音楽でいれば、演歌、歌謡曲、ロック、ニューミュージック、J-Popダンスといったように次々と新たなジャンルが生まれ、大衆音楽がどんどん進歩しているように見えたモダンの時代は終わり、ポストモダンに突入した現在では、過去のジャンルと類似したパターンの再利用を繰り返しているような感じである。したがって、数十年前のポップス音楽と現在のポップス音楽では、演歌とニューミュージックを比べるかのようなものすごい違いがあるわけではない。

 

映像にしても、過去からの蓄積が進み、かつそれらへのアクセスが容易になっているので、オンデマンドでいつの時代であるかに関わらずさまざまな映像を利用するようになっている。リアルタイムの映像となつかしの映像がパッチワークのように組み合わされて番組が作られたりするのである。

 

基本的に、先進国は、モダンの時代のような成長はとまり、経済社会がポストモダンに移行しているといえよう。それに対し、発展途上国については、まだまだ物質的にもインフラ的にも成長の余地があるので、モダンとしての時代モードであるといえよう。