ポストモダンにおける時間

先日の投稿で、モダンが、新しいものが次々と現れ、社会全体が進歩していくような時代だと説明した。これは、進歩に向かう絶対的な時間軸があって、直線的に物事が進歩していくような時代感覚である。

 

それに対して、ポストモダンでは、成長が止まり、過去のものをいろいろとつなぎ合わせるような活動が増えていることを指摘したが、これは、時間が絶対的・直線的ではなくなり、相対的なものに変化していることも意味している。

 

例えば、今の時代の映像をみて、そこに若いアイドルが映っていたとしても、実はそれは30年前の姿であったりする。つまり、懐かしの映像である。しかし、IT技術バーチャルリアリティの技術も進んで、30年前のアイドルがあたかもリアルタイムに存在するかのように眼前に姿を現すことになる。つまり、いまとか昔とかといった時間間隔があまり関係なくなっているのである。良いものは使いまわすし、時間に関係なく、組み合わせることで何か有益なことがあるのならばためらわずそうするのである。

 

モダンの時代は、絶対的な時間に製造や人間がコントロールされてきた。朝決まった時間にきまった職場に通勤し、夕方決まった時間に職場を出る。しかし、ポストモダンの時代では、時間にコントロールされず、自分の都合のよい時に働けばよい。生産性が最も高い時に働くとか、育児や介護など自分が必要とされているときにそれに従事できたりする。モダンの時代では、テレビでは番組表が君臨しており、観たいテレビは決まった時間にしか放送されないから、番組表に娯楽生活がコントロールされていた。しかし、ポストモダンの時代は基本オンデマンドだから、観たい時にいつでも観れる。

 

また、近年、グローバル化IT技術の進展で、地球上のあらゆる人々と仕事をしたり交流するようになっている。国境を跨いで他国の人といっしょに仕事をするときに、ミーティングの必要があるとしよう。しかし、それは、こちらが朝でむこうが夜だったりする。つまり、ポストモダンの時代では、時間は絶対的ではなく、私にとっての朝の8時は、相手にとっての朝の8時だとは限らない。地球の裏側にいたら、夜の8時だ。このように、時間も相対化していくのである。