時間と場所に制約されない自由な働き方、自分が得意とする仕事ができる環境が整ってきた

多くの人にとって、時間と場所に制約されない働き方、そして、苦手なことではなく得意な仕事に特化することができる技術的な環境が整ってきた。あとは、人々のメンタリティが変わるだけだ。

 

工業化社会ではそうはいかなかった。工業化社会は、モノづくりを中心とするモノ中心の世界である。モノは特定の場所で作られるので、人々が仕事をする際、そこに張り付いていなければならなかった。だから、多くの人が9時~6時のような勤務形態になり、通勤ラッシュが起こる。また、分単位の時間管理が仕事に求められる。

 

また、仕事環境は、主に物理的スペースにおいてモノを中心に構築された。工場、機械設備、オフィス、机、会議室、紙とペンなどを整え、仕事をするわけだ。だから、仕事をするためにはどうしても、特定の場所にいかなければならなかった。事務作業1つとっても、わざわざ通勤してオフィスにいって、机のうえにある紙とペンで作業するほかなかったのである。

 

つまり、工業化社会の働き方は、時間と場所の制約をうけたかたちでしか働くことができなかった。だから、遠距離であっても毎朝通勤列車などに乗って会社を行き来し、時間通り仕事をし、疲れ果てて家に帰るというようなことが普通であったのである。

 

しかし、情報化社会となり、情報技術が発達し、技術環境が大きく変わった。私たちの仕事はもはや場所や時間に制約されることが格段に少なくなった。仕事環境は、物理的なモノではなく、主にサイバースペースで情報技術をつかって構築することが可能になった。事務作業は、ネットにつながれた端末とクラウドがあればいつでもどこでもできるようになった。会議もスカイプなどを利用して遠隔でできるようになった。

 

そうなると、毎朝分単位で活動し、時間通りに家をでて会社に向かい、都市部では満員電車に苦しみ、地方でも交通渋滞に苦しむ理由もなくなってきた。多くの人にとって、自分がやるべき仕事が、8時間ずっと特定の場所にいなければならないわけではなくなってきた。また、好きな時間に仕事をやれるようにもなった。たとえば大事な家事、育児、介護などがあれば、その時間を外して作業することもできるようになった。

 

いったんまとめよう。つまり、過去の時代においては、仕事環境は物理的空間の中で構築するしかなかった。いつ、どこで、どのような仕事・作業が必要なのかが設計されるため、仕事・作業の時間と場所が固定化され計画される。そこに、その仕事・作業をする人が張り付くことで業務が動く。よって、働く人は必然的に時間と場所の制約を受けることになった。しかし、情報技術の発展により、仕事環境の多くがバーチャルなサイバースペース上で構築されることが可能になった。

 

サイバースペースは仮想空間であって実空間ではないので、どのような仕事・作業が必要かが特定されれば、物理的空間の制約は受けない。物理的にどこにいても必要な仕事をもっともふさわしい人が実行できる。そして、情報技術の発達により、大容量の情報を多くの人で共有することが可能になった。それは、どの作業・仕事がどう動いているのか、誰がいま何をやっているのかをはじめ、業務や組織の状況、マーケティングや財務状況などあらゆる情報のアクセス可能性と透明性が可能になり、働いている人がそれをモニタリングして、自分がもっとも貢献できる部分、自分の長所をもっとも生かせる部分を選んでその仕事をすることができる。例えば、いま〇〇氏がこの部分の作業をしている。ならば自分はこちらの部分をやることでもっともうまくいくはずだ、と判断して作業を選んで実行する。他の人との仕事の調整もしやすく、同じようなスペックをもった人材がスペースを超えて仕事を譲り合ったりシェアしたりすることもできるため、働く時間の柔軟性も増すことになる。つまり、自分が家庭の仕事なので手が離せないときにほかの人が代わりにやるということがやりやすくなるわけだ。そのかわり、家事から解放された夜間に仕事をやったりすることもできるようになる。

 

であるから、30年~40年前とくらべて、自分のやっている仕事が、本当に早朝満員電車で特定の場所まで勤務してさらに帰宅の通勤ラッシュにもまれるようなかたちでしかできない仕事なのかを自問してみると、その度合いは格段に減少しているに違いない。場合によっては、決まった時間に特定の場所でしかできないなど、どうしても物理的・時間的な制約のある作業だけを抜き出すと、それは週2日で済むような感じとなり、その他の自由にできる仕事だけを集めて分離すれば、週5日はいつでもどこでも仕事ができる体制になるだろう。仕事の時間が自由になれば余暇の時間も自由になる。したがって、土日だけ娯楽施設が超満員になり、平日はガラガラといった不効率なリソース運営も解消されるだろう。

 

ただし、次のような懸念もあるかと思う。つまり、自分の仕事が場所と時間に制約されないならば、そもそも人間は怠惰だからダレてしまって逆に仕事がうまく進まない、生産性が下がるのではないか。つまり、人間、誰かに監視されていなければ当然サボるだろうと。よって、ある意味奴隷のように行動を縛らないと生産性は維持できないのではないかと。しかし、働かざる者食うべからずではないが、自分がいつ何をして、その結果どのような貢献をしたのかはどは情報技術の発達ですべて記録できるようになり、かつ人々のあいだで共有もできるようになるので、それが自己規律につながる。これだけ貢献したのだから、これだけの報酬をいただくというのについては会社が決めるのではなく、マーケット(相場)を見ながら自分で決めればよい。マーケット的に十分な原資があれば言い値で報酬を受け取れる。原資が不足してくれば皆で負担をシェアすることで妥当な報酬水準を決定する。つまり、自分の仕事上の貢献度と、それに対する経済的、あるいはその他の見返りとのバランスの透明性も増すということだ。例えば、あまり金銭的なニーズがなければ仕事を通じてそこそこの貢献度をすればよいし、金銭的ニーズが大きいのならば、しばらくは仕事を優先して貢献度を増やすといったように、仕事の時間のみならず仕事の量や貢献度を選ぶ自由もついてくるのだ。

 

バーチャル空間を中心とする技術環境を構築する情報技術は、何も現在で進歩がストップしてしまったわけではない。これからもさらにスピードが増す形で発展するに違いない。ということは、これまで以上に、自由な働き方、得意なことに特化する働き方が可能な技術環境が発展することは間違いがない。

 

これは素晴らしいことではないか。あとは、働き方の意識改革、すなわち働き方改革が実現だけでよいのだ。