商品としてのキャリア

キャリアデザインの1つの考え方が、自分自身が商品となるということだ。

 

よくある傾向として、それまでは一般的な「人」であった存在が、あるとき、なんらかのきっかけで、その人の存在やら言説やら著作やらが、他者にとっての使用価値の高い「商品」と転化し、自己増殖をつづける資本の運動にうまく取り込まれることによって大きく飛躍するというものだ。

 

「人」から「商品」へと転化するというところがポイントだ。商品に転化した瞬間、それは商品資本となり、貨幣ー商品ー貨幣を通じて増殖する循環運動の1部となるのである。

 

もちろん、その商品が、生身の肉体1つでしかないのなら、稼働率的に限界があるが、いまの世の中、いくらでもコピーして再生産できる。昔からあるのは著書だし、いまでいえばユーチューバーなどは、何万回も再生可能である。

 

貨幣資本から見れば、その商品に貨幣を投じて貨幣を商品に転化し、それを価格を上乗せして売却することで貨幣を増やすという運動が可能になるので、商品としての価値が高まれば高まるほど、そのような資本が押し寄せてきて、大きな循環運動の一部として取り込まれる。

 

いったん取り込まれたら、その商品が飽きられるまで半ば自動的に、あるいは商品としての数多くの自分の分身たちが一人歩きするかたちで、この資本主義の社会を泳ぎ回ることになるのである。

 

自分を商品化することで、収入も増え、知名度も高まるといったキャリア上のメリットもあるが、デメリットも認識はしておくべきであろう。例えば、自分の存在が商品と転化した場合、その商品に対する他者からの好き嫌い、とりわけ批判や苦情にも直面せざるをえない。ある商品が万人から絶賛されるということはありえない。

 

たんなる「人」としての存在の場合は、他者が自分に関心を持つことはないのでよいが、商品となったらそうはいかない。「あたし嵐の●●は好きじゃない」みたいな会話を、そこらへんの一般人が平気で街中のカフェとかでかわすわけである。

 

あと、いったん資本の自己増殖運動に取り込まれたら、自分ではその動きをコントロールできなくなる可能性もあるということだ。先ほど述べたように、自分の著作とか、言説とか、芸能人とかであれば顔写真やフォトなどの分身が独り歩きしてこの世の中にどんどんと拡がっていくわけである。

 

一発屋と呼ばれるタレントのように、一時期は自分がコントロールできないままに膨大のお金が懐に流れ込み、金遣いが荒くなり、その後、急に飽きられたり不祥事に巻き込まれたりして身銭がなくなるというケースも考えられるわけである。