旧いキャリアモデルを完璧に打破しよう

いまや、ほとんどの人が、そんなものは時代遅れと思っているのにも関わらず、いまだにこの日本を支配し、人々の深層心理にしみ込んで色あせないキャリアモデルがある。

 

それは、「しっかりと勉強して良い大学に入り、そして安定した大企業の社員になって幸せな人生を送る」というものだ。ほとんどの人はこの言葉をみて、そんなものは古いと一刀両断するだろうが、ところがどっこい、実際の若者の行動などを見ているとそうではない。とくに、親の世代がこの考えに縛られてしまっていて、子供の世代もいやおうなく影響を受けているのではないだろうか。

 

「しっかりと勉強して良い大学に入る」までは良いし、今も生きている。しかし、その後がいけない。では、これからの日本に必要な、もっとも「格好良い」「イケてる」キャリアモデルはなにか。

 

それは、「しっかりと勉強して良い大学に入り、大学でさらにしっかりと勉強をして、その後は自分で新しい事業を起こしたり、新しい事業を起こした若い会社に入って(あるいはベンチャーキャピタルなどの外部から)その会社を大きく伸ばしていく」というものだ。

 

もちろん、昔から、似たようなキャリアモデルとして「青年実業家」というモデルがある。しかし、これはどちらかというと一般人には特別な人種にように捉えられ、あまりポジティブなイメージがない。なんとなく胡散臭い、どこかのお坊ちゃん、単なる成金、などのネガティブイメージが伴いがちである。

 

そうではなく、一般人のなかでも能力が高い人が目指すべき、もっとも格好よいキャリアモデルとして、事業を創っていく仕事、イノベーションを起こす仕事に携わり、世の中で活躍する、というキャリアモデルがないといけないのだ。優秀な大学を出たもっとも能力の高い人々が、出来上がったルーチン業務で自らのポテンシャルを浪費する大企業に入ってはいけないのである。

 

もっとも優秀な人たちが、大学や大学院を卒業後、次々と新しい事業を立ち上げ、あるいはその流れに参加して、日本から世界に向けて新しいビジネスが沸き起こっていく。それによって、日本の経済も活性化する。もっともエキサイティングな仕事、もっともエキサイティングなキャリア。幸福な人生。残念ながらそのような能力や実力がない人は、「仕方なく」大企業に入ってルーチン業務に甘んじる。

 

別に、大企業に入って働くことが悪いことであるとは言っていない。もっとも優秀な人が大企業に入るのは、日本全体にとってみればイノベーションに必要な人的資源の浪費だと言っているだけである。

 

大企業を批判しているわけでもない。そもそも、大企業というのは、できあがった業務を通じて多くの人たちに製品やサービスを安定的に供給することが一番大切なので、平凡でも従順にルーチン業務をこなせる人が大量に必要であって、逆に、尖った人とかあまりにもクリエイティブな人とかがいては、和が乱れるので困るのだ。

 

平凡な人しか入社せず、平凡な仕事しかできない大企業が勢いを失って衰退し、やがては消え去っていくことは問題ではない。たんなる自然法則と考えればよい。その代りに、優秀な人々が新たな事業を次々と起こし、それらの会社がどんどん成長して、やがて次世代の大企業になっていく。ただし、大企業になってしまったら、優秀な人材からそっぽを向かれ、平凡な人しか採用できず、やがて衰退していくことは避けられない。

 

なにはともあれ、新しい事業を起こしたり、新しい製品を世に出したり、イノベーションを起こすのは、優秀な人でないといけないのだ。結果的にそのような人になれないとしても、子供のころから、そういう人々に憧れて、そういう人々になりたいという夢を持ち、そういう人々になれるよう一所懸命勉強することが、将来の日本の経済の発展につながるのだ。