資本主義の本質4

マルクス的に、資本主義の本質をおさらいしておこう。

 

まず、労働者は、労働をすることによって価値を生み出す(商品やサービスを生み出す)とともに、消費者としてその価値(生み出された商品やサービス)を消費することで、資本の自己増殖を支えている。

 

労働者は、自分の労働力(勤務時間)を、会社に「売る」。そこで働き、価値を生み出して、自分の労働力を売った対価として「賃金」を受け取る。その賃金で、生活に必要なモノやサービスを「買う」。当然、自分の会社のモノやサービスばかり買っているわけではないが、経済全体を考えれば、労働者は、労働力を「売って」、そのお金で、自分自身が労働によって生み出した生活に必要なものやサービスを「買い戻す」。労働者が1人だったらまさに自給自足ということだが、経済全体として分業しながら同じことをしている。

 

これだけみれば、単に、お金を媒介として労働と消費が循環しているにすぎない。資本は自己増殖しない。

 

しかし、資本主義の重要なポイントは、技術革新だ。例えば、技術革新で、労働者1人、10単位生産していたものが、20単位生産できるようになる。そうすると、賃金としては、いままでどおり10単位分労働者に支払い、労働者はその賃金で必要なモノやサービスを10単位分買う。

 

労働者側から見れば、先ほどと同じ、お金を媒介とした循環である。しかし、資本側からすれば、10単位分、余る。この余った10単位分が売れれば、売れた分は資本のものである。つまり、資本の額が自己増殖する。

 

あまった10単位が売れなければ自己増殖は実現しないので、まだモノや商品を買っていない消費者に売ろうとする。そのため、市場を外に求める。例えば、海外市場である。買うお金がないというならば、借金させる。利子はちゃんといただく。こうすることによって金貸し業の資本も、利子を獲得して自己増殖する。

 

必然的に、資本は自己増殖をしようとすればするほど、技術革新を志向し、余剰に生産されたモノやサービスを売って利潤を得るために市場を拡大しようとする。だから、資本主義社会における資本は、技術的にも、市場的にも、拡大・成長・膨張を志向するのである。

 

市場の拡大が滞り、消費者の購買力が低下してしまうと、資本や余剰の商品やサービスを売ることによって利潤を実現することができないので、不況が起こる。このようにして景気循環が起こるのである。

 

 

 

資本主義の本質3

前回、社会全体がこんなスピードで成長・発展しなくてもいいから、働く量を半分にして、その分、暇な時間をローテクな娯楽で愉しめばいいんじゃないかというようなことを書いた。そして、資本主義社会ではそれが不可能に近いことを書いた。

 

それは何故か。繰り返すとおり、資本主義は、つねに、拡大・成長・膨張を志向するからである。

 

そして、古くはマルクスや、最近流行中のピケティが指摘するように、資本主義というシステムでは、富むものがますます富み、貧しい者がますます貧しくなる、といった格差を生み出すメカニズムが内在されていると考えられるからだ。

 

例えば、先進諸国においてモノが溢れかえって飽和してくると、人々の購買意欲は萎え、モノが売れなくなる。それはそれでよいことではないか。もう人々は現状に満足して、そんなに買いたいものがないのだから。

 

しかし、飽くなき拡大・膨張を志向する資本主義社会ではそれが許されない。消費者の欲望をあらゆる形で刺激して購買意欲を高めよう、有形のモノが売れないなら無形のサービスを売ろうなどと、資本が利益を上げるための空間を無理やりにでも作り出そうとするのだ。

 

日本企業がとった戦略に関していえば、高級化路線である。人々の自尊心などを刺激し、もっと高級なもの、もっと贅沢なもの、もっとステイタスの高いものへの欲望を植えつける。その上で、付加価値の高いモノやサービスを売りつける。

 

冷戦が崩壊し、社会主義国が崩壊し、グローバル化が進展すれば、世界においてまだまだモノが不足している国や地域をターゲットとしてモノやサービスを売ることができる環境が整ってくる。つまり、資本利益を維持する空間を、新興国に拡大する。その結果生まれたトレンドが、グローバル化だ。

 

さらに極めつけは、情報技術の発達により可能となった、バーチャルな空間だ。当初、バーチャルな空間は、ただ空間だけがあって荒野のような状態。そこに、まずはインフラをということでバーチャル建築需要が起こり、たくさんのITエンジニアを動員してインフラをつくり、店をつくり、オンラインコミュニティーやSNSを作り、それでバーチャルおよび現実における消費意欲を植え付け、モノやサービスを売りつける。

 

私達は、このような世界の動きを傍観しているわけにはいかない。生きていくためには、働かざるを得ない。働くということは、このような膨張・成長・拡大の動きに加担していることに他ならない。いやがおうでもこの流れに巻き込まれているのである。

 

資本主義の本質2

資本主義の本質は、成長、発展、拡大、膨張主義である。

 

実感としては、こんなことがないだろうか。

 

私達は、働かないことには生活できない。だから、必死になって仕事を探し、仕事が見つかれば、週末を除き、朝から夜まで働き続けなければならない。

 

生活するために、忙しく、余裕のない日々を暮らすことになる。

 

その結果として何が起こるかというと、世の中はモノやサービスで溢れかえる。問題は、それが本当に人々を幸せにしているのかということだ。

 

技術の発展はすざましい。ネット、ケータイ、スマホ、ゲーム、SNS。これらはたしかに便利だが、それがないから不幸になるといえるのか。100円ショップやネット通販なども発達し、モノが買いやすくなり、身の回りがモノで溢れかえる。それがほんとうに幸福なことのか

 

これらが人々を幸福にしているにしても、その結果として、環境破壊などが進んでいるという事実も忘れてはいけない。

 

つまり、こんなことを考えたくなる。社会全体がこんなスピードで成長・発展しなくてもいい。モノで溢れかえる必要もない。それらがなくても楽しい生活は可能である。だから、働く量を半分にして、その分、暇な時間をローテクな娯楽で愉しめばいいんじゃないか。働く量を半分にして、人類滅亡の時期を早めるかもしれない環境破壊を遅らせたほうがよいのではないか。

 

しかし、これがなかなかできないのが資本主義が支配する社会なのである。数十年前に比べて格段に生産効率は向上している。だから、働く時間は半分でいいというわけにはいかないのである。

 

 

 

資本主義の本質

資本主義の本質は、「拡大再生産」である。

 

単純再生産や縮小再生産ではダメなのである。資本は常に成長、発展、膨張を志向するのである。

 

例えば、国内で何か商品を売る。それが良いものであれば、最初は飛ぶように売れるだろう。けれども、それが国内に行き渡っていけば、売れにくくなる。売れにくくなれば価格を下げて対応する。よって利潤率が下がる。

 

拡大再生産を継続するためには、例えば、海外に販売の活路を求める。あるいは、消費者の欲望を刺激して、高級化した商品を売りつける。物理的空間でこれ以上発展が望めないのならば、サイバースペースなどのバーチャルな空間を作り上げ、そこでサービスを売っていく。

 

このように、資本主義社会が続く限り、資本の成長・発展・膨張は際限なく続くわけである。働く人々は、この資本に隷属し、そこから生きるための日銭を稼がなくてはならないのである。

資本主義社会で溺れないように生きる3

前回は、資本主義の社会では、働く側からみれば、資本利益率に貢献するか否かという基準が経済的に豊かになれるかどうかにおいて決定的に重要であることを指摘した。そして、その基準は、「割安」「割高」であることを示した。

 

つまり、資本主義社会では、資本利益率への貢献度という意味において割安な人材は引っ張りだこになり、割高な人材は仕事がなくなるということである。

 

しかし、実は、相対的に「割高」であっても、仕事にありつける、あるいは多くの収入を得られるチャンスもある。これは、経済学的な市場原理を考えれば思いつくことである。

 

それは何かというと、「希少性」である。自分自身が割高であっても、他に割安の人がいなければ、自分は引っ張りだこになるというわけである。希少な資源を市場においてうばい合えば、その資源価格が高騰するのは周知の事実だ。

 

つまり、資本利益率へ貢献度という面では生み出せる経済価値は小さくても、資本もしくは企業にとって、利益を生み出すために「必要不可欠」な技術とか知識とかを保有しており、かつ「数が少ないため、なかなか見つからない」という存在になることが、雇用機会を増やし、収入を増やすキーとなるのである。

 

これは、経営学でいうところの、経営戦略論では、常識となっている考え方である。もっとも簡単な言葉でいえば「差別化」であり、別の言い方でいえば「コア・コンピタンス」というようなものである。経営戦略論で追及しているのは、自社がいかにして競合他社よりも多くの利益を(=競争優位の獲得)である。会社員に焼き直せば、いかに同僚、ライバルよりも昇進などで優位に立てるか、などに置き換えられる。

 

経済的価値を生み出すのに必要不可欠な知識とかスキルを有し、それは他の人が真似できないもので、かつ、そのような知識やスキルを有している人材の絶対数が少なく、自分以外に取り替えがきかない唯一無二の存在であれば、企業はあなたを手放したくても手放すことはできないのである。

 

経営学を学ぶのは、企業経営に役立つだけでなく、自分自身のキャリア戦略にとっても重要なのである。

 

資本主義社会で溺れないように生きる2

前回は、社会人になるということは多くの場合、資本主義社会に放り込まれることを意味すると書いた。

 

それは、好むも好まざるも、資本利益率に貢献できなかったら経済的に豊かになれない社会だということである。

 

ピケティなどが指摘するように、資産家(≒資本家)に有利な社会であることには違いない。なぜなら、資本主義社会では資本利益率が最優先されるからである。資産家が企業などの投資をすれば、その企業は資本利益率を維持するために必死になって経営に取り組むからである。売上や利益が上がらないのなら、人件費を削ってでも資本利益率を維持しようとするわけだ。

 

働く側からすれば、なによりも大切なのは、自分が「割安」であるかどうかだ。割安な人材、すなわち、支払う賃金よりも、生み出してくれる経済価値が高い人材が、雇用では最優先されるのである。

 

例えば、年収何億円ももらっているプロスポーツ選手。彼らは、何億円はらっても、それをはるかに超える経済効果を生み出してくれるので、場合によっては「超割安」かもしれない。一方、年収200万円しかもらっていなくても、働くことによって生み出す価値が200万円に満たないような人がいれば、その人は「超割高」となって、資本主義社会のもとでは、雇用からはじき出される。その人が生み出す経済価値に見合った、もっと安い年収の仕事しか手に入れることができない。

 

これが社会として正しいかどうかは別問題である。これが現実なのである。

 

だから、まずは、自分が、資本主義社会において「割高」な人材なのか、「割安」な人材なのかを把握しておく必要があるだろう。

 

あなた自身が「割安」であるならば、市場では、買い手があなたを獲得しようと群がることになり、引っ張りだこということになる。それは、年収とか給与の「絶対値」とはなんら関係がないことも理解しておくとよいだろう。

 

もし目標とする収入があるとするならば、その収入で仕事をして、どれくらいの経済価値を生み出すことができるか、すなわちどの程度資本利益率に貢献できるかがポイントだ。それを考え、自分が市場で「割安」になるようにキャリアを作っていかなければならないのである。

資本主義社会で溺れないように生きる1

会社に就職するなりして社会人になるということは、公務員などのケースをのぞき、ほとんどの場合、資本主義経済という社会に放り込まれることを意味する。

 

資本主義ということはどういうことかというと、資本利益率に貢献する者が経済的には最優先される社会だということである。

 

例えば、会社は株主のものだから、株主(=資本家)の利益が最優先される。日本も、高度成長のときはよかったが、成熟社会となり会社の利益率が下がってきても、資本利益率は維持しないといけないというのが資本主義社会である。

 

だから、資本利益率を維持するために日本の会社がやったことは、正社員数を削減するとともに非正規雇用者を増やして人件費を固定費から変動費化してきたのである。結果として、国民全体の実質的な平均給与は下がるということになったのである。

 

さらに、グローバル化が進展している。グローバル化が意味するのは、資本主義的に割安である途上国、新興国の人材にチャンスが巡ってくるということである。例えば、日本人よりも支払うべき給与が安いのにもかかわらず日本人よりも資本利益率の向上に貢献できる外国人がいれば、その人が優先されるということなのだ。

 

反対に言えば、日本人だからといって途上国の人々よりも高い収入が得られる保証はなくなり、給料に比して生み出す経済的価値が低ければ、雇用が脅かされるということだ。

 

そのような社会でどうやって生き残っていけばよいのだろうか。

 

つづきは次回。