コロナ禍で考える指数関数的(幾何級数的)資本主義社会からの脱却

私たちは、指数関数的な社会で暮らしている。これはどういうことかというと、成長が直線的ではなく、指数関数的に増えていくような社会にいるということである。

 

これは、いろいろな成長指標を見ればわかるだろう。テクノロジーの発達などもそうだ。ではなぜそんな社会なのかというと、資本主義の原理に、初めから指数関数が内在化されているからである。

 

それが端的に表れているのが、金利である。金利は、基本的に、複利で運用される。複利というのは、指数関数的にお金が増殖していくことだ。例えば年率7.2%の金利で運用すると、10年で金額は倍になるのである。お金自体が複利で指数関数的に増えていくことが前提となっているということは、それに追いつくかたちで経済が成長することも前提になっているのである。

 

資本主義のもっとも根本的な要素であるお金が、実体経済に対し、指数関数的に成長するようプレッシャーを与え続けてきているのである。そして実際、産業革命が起こって資本主義の経済が成立して以降、世界は指数関数的に成長してきたのである。

 

しかし、もうご存知の通り、だいぶん前から、実体経済のほうが、お金からの指数関数的成長へのプレッシャーに応えられなくなってきた。先進国ではモノや食べ物があふれかえり、それでも無理やり消費を刺激して買い替えを増やし、肥満を増やし、ごみを増やし、資源を浪費してきた。しかし、先進国から順番に、そのプレッシャーに応えられなくなった。

 

よって、お金のプレッシャーに実体経済が追い付かなくなったため、お金だけが独り歩きして指数関数的成長を持続させなければならなかった。その結果、実体を伴わないお金の自己増殖がバブルを引き起こしては崩壊するという現象を繰り返すようになってきたのである。

 

それもうまくいかなくなって、現在では、低金利になってしまった。もう、システムとして、指数関数的成長が実体経済でもお金面でも持続できなくなってきたのである。アベノミクスや黒田バズーカを使ったインフレターゲットをやっても、「笛吹けども踊らず」状態なのである。現代風にいえば、社会が「無理」と言っているのである。指数関数的成長は、地球環境も破壊するので、持続的発展、持続的成長とは親和性がないのである。

 

であるから、大事なのは、私たちの社会にとって、指数関数的成長が本当に必要なのかを考え直すことである。

 

コロナ禍でスローになった仕事や生活をきっかけに、指数関数的成長社会からの脱却を目指すのがよいのではないだろうか。