モノからコトへシフトする資本主義経済

資本主義の仕組みを一言でいうと、生産と消費のサイクルを通して資本を増殖させる力である。モノから製品を生産してそれを人々に売る。その際に、生産を安く済ますことで利益を出す。人々はそれを買って消費する。消費してなくなったら再び買う。生産者は、安くモノを作るために安価な労働力を求めて活動範囲を広げるとともに、もっと多くの人々に買ってもらうために市場の範囲を広げようとする。これが、資本主義が拡大する原動力である。

 

モノの生産と消費のサイクルが高回転すればするほど資本の増殖スピードが増し、1つの国や地域でモノがあふれかえって消費が追い付かなくなり飽和したら、新たな市場と安価な労働者を求めて他国に進出する。昔はそれを植民地化というかたちで推し進め、現在は、自由化を推進することで対外投資して進出する。

 

世界の中でまだ所得が低い、モノが行き届いていない地域があれば、そこに資本が進出することで資本の増殖スピードが維持されるので、資本主義経済は拡大発展するわけだが、それも時間がたてば世界中にモノがあふれかえることになり、飽和してしまう。つまり、モノの生産と消費のサイクルを通した資本主義が行き詰まってしまう。

 

また、モノの生産と消費のサイクルが高速化すればするほど、モノの浪費が増え、ゴミが増え、地球環境を破壊することにつながる。つまり、人類の生存さえも脅かす。このように、どう考えてもモノの生産と消費のサイクルの高速化を通した資本主義の拡大は限界を迎えてしまうのが宿命だったのである。

 

そこで資本主義は次のステージに発展しつつある。それは、モノを作って消費するのではなく、コンテンツを作って消費するというサイクルを回していくことである。例えば、アニメ、映画、ドラマなどのメディアコンテンツを制作し、それを消費者は購入し、家庭で消費する、という具合である。

 

コトの生産と消費のサイクルの優れた点は、モノの生産と消費のサイクルとくらべると、物理的な地球資源の浪費や環境破壊につながる度合いがゼロではないにせよ、比較的低いということである。資本主義経済が、コトの生産と消費に大きくシフトするならば、むりやりモノを作って消費者の購買意欲を刺激してそれを購入させる努力が必要なくなるということを意味する。モノの生産と消費は資本の増殖のために行うのではなく、私たちが暮らしていくうえで必要最小限のサイクルで良いのである。いいモノをつくって人々がそれを長く大切に使っていくようになれば、環境負荷は大きく軽減される。

 

その代わり、資本やコトの生産と消費のサイクルを用いて増殖を志向していけばよい。誰かがアイデアを生み、それを誰かが買うというサイクルである。ただし、それは、世の中のコンテンツを際限なく増やしていくことにもつながる。コンテンツの量が少ない時代は、多くの人が新しいコンテンツをありがたく消費したであろうが、いずれ、モノのときと同じように、周りがコンテンツであふれかえることになる。例えば、テレビドラマが際限なく増えて、消費者はあまりに多くの選択肢から限られたものしか消費できなくなる。よって、コンテンツを売って利益を得ようとする企業は、いかに多忙な消費者から自社のコンテンツを消費してもらう時間を確保するかが勝負となる。

 

コンテンツが増えれば増えるほど、供給過剰となってコンテンツの単価が下がってくるので、だいたいは、定額料金をいただいてコンテンツを消費し放題というサブスク型に移行する。あるいはプレミアムに支払ってもらうフリーミアムのモデルに移行していく。

 

このような有様だから、世界中がモノで溢れかえるようになるのと同じく、世界中がコンテンツで溢れかえるようになるだろう。人類は際限なく豊かになっていくのである。